「俺のバケツ」カテゴリーアーカイブ

仙台藩士の曽祖父〜家族のルーツを探る②

母方のルーツは武士、らしい。

家族のルーツを探る旅をしよう、と北海道に暮らす母と共に仙台で曽祖父が眠る先祖代々の墓まで辿り着いたのが前回。(→家族のルーツを探る①

その後、祖父の兄に連なる縁戚の方にも母が60年ぶりにご挨拶できたのですが、あいにく仙台藩士としての詳しい情報についてはご存知なく、調査2日目は郷土資料にあたるために宮城県立図書館を訪問。(調べごとのために図書館を訪問するなんてレア体験)

向かったのは県図書館内のみやぎ資料室。仙台藩士に関する蔵書があるそうで、ここにヒントがあるかもしれない、、と思い。すると、親切な司書の方々に丁寧にガイドを頂き、沢山の関連資料が出てきました、心から感謝です。

同じようなことを調べたい方は沢山いるようで、明治維新の際に仙台藩士として資料に名前がある方は索引カードにもなっており資料を逆引きもできるようになっておりました。(便利!)

結論として、この日だけでは、曽祖父の正確な家格や家系の系譜については突き止めきれず。

仙台藩内に本家と分家が4つあることまで特定出来たのですが、曽祖父がどの家の当主だったかは参照した資料の範囲では判然とせずでした。本家の当主の方は同名ながら漢字が違っており、おそらく曽祖父は分家筋だったのだと思います。

意外だったのは、明治維新後に武士を辞め曽祖父が農業をやろうとしたと読み取れる資料があったこと。警察に奉職して、最後は部下の不始末の責任をとって切腹した・・と家には伝わっているのですが、この明治の空白時期を埋めること、どの分家の当主だったのかを今後は調べたいところ。

家族のルーツを探る旅、仙台には再訪確定です。

仙台藩士の曽祖父〜家族のルーツを探る①

母方のルーツは武士、らしい。

この家族のルーツを探る旅をしよう、という母との約束を今回ようやく果たせました。約束したのは、2017年のこと。弟の結婚披露宴で母方の叔父叔母と久しぶりにご一緒した際に。(→母方のルーツは武士

あれから6年。あの時ご一緒していた叔父の一人が亡くなり、これはもう行くしかない・・と。母も69歳が75歳に。

一緒に東京から仙台に新幹線で向かいながら、まずは母も行ったことがない・・という曽祖父のお墓を目指すことに。(母にとっては祖父の墓)母は60年前の中学生の頃に自分の父母と仙台を訪れているのですが、その時はお墓を訪れていなかったとか。

お寺の名前は東昌寺。Wikiによると、臨済宗のお寺で、仙台の禅寺北山五山の一つだとか。伊達氏代々の保護を受けていたというのが仙台藩につながる感じがします。ドキドキ。。

想像以上に立派なお寺。

しかし、手前にも奥にも広がる広大な墓地エリアを一望して、これは自分達で適当に探すのは無理と真っ直ぐ社務所へ。来訪の目的をお伝えすると、ご住職が親切にも、あっちか、こっちか・・と呟きながら、ご案内を頂けることに。(ありがたや)

最初に辿り着いたお墓は、縁戚の方とはお名前の漢字が違い、墓石も随分と新しい気がしたので、もう一つの方へ。(そちらも結局は親戚でしたが)

こ、これだ・・・。

お墓の横に掘られた文字を読み解くと曽祖父の名前、影定の文字が浮かび上がりました。さらに丁寧に彫られた情報を読み進めていくと、影定の妻(曽祖母)、その子供達(母にとっては叔父叔母にあたる皆さん)・・と、この先祖代々のお墓に入られた母方の親戚のお名前と亡くなられた日時が明らかに。

さらに周囲にある古い墓石や墓誌も読み解いていくと、明治、大正どころか、安政5年=1858年・・、享保13年=1728年、極め付けが寛永16年=1639年のご先祖様の墓誌まで。

 

確かに、曽祖父は存在していて武士でした。お墓って・・凄い。祖先から現代の子孫への伝言板にもなってる。

地元の祭りに参加しました〜俺のバケツ

人生で実現したいことを100件書き出して、俺のバケツとして実現の機会を探っています。(その意味は→俺のバケツ

入れ替え戦を行いながら見直しをかけている100件のリストに、こんなものがありました。

■ 69. 町内会の仕事をして、地元の祭りに参加する

元は15年以上前に書いたものだと思います。

それが、2023年夏、娘達が年初から参加しているボーイスカウトのつながりを通じて、地元のお祭りのお手伝いをすることが出来ました。

(主に、射的のコーナーをお手伝い)

朝から準備して、5時間ほどのアクティブな時間は殆ど休み無しだったのでクタクタになりましたが、遊びに来てくれた沢山の地元の皆さんが少しでも楽しむお手伝いが出来たなら、本望。

■ 69. 町内会の仕事をして、地元の祭りに参加する

持ち家暮らしにならないと町内会にもなかなか誘ってもらえないものですが、、こうやって地元の祭りに参加するルートがあったのか、、との発見。こうした地縁は今後も大事にしたいもの。

資産ポートフォリオ(2023年5月)

資産ポートフォリオの定点観測。(前回観測は→2022年11月

ようやく金融資産と不動産が1:2の比率になりました。

12年後の60歳時点で、金融資産と不動産の比率を1:1にするのが現在の目論見です。

1:1に均衡した後はコンスタントに資産取り崩しを開始。50年ぐらいかけてゼロに向けていきたい。(実際はそれより早くこの世を去るので、多少娘達に残ってもヨシ)

→ゼロで死ね〜DIE WITH ZEROの影響を引き続き受けているので、最近は軽く資産取り崩しもはじめています。

やりたいことの賞味期限を意識しながら。ただ、まだタメ期ではあるので、そこはバランス感覚も持ちながら。(教育投資がドカンとかかるのはまだ先ですし)

GWで折角出来た時間は、未来にも思いを馳せながら。