母方のルーツは武士

母は7兄弟姉妹の末っ子。

存命の5人のうち、4人の叔父叔母に先日の弟の披露宴に参加頂きました(皆さんにとってはこの世代で最後の独身の甥っ子)。僕の時は母と弟以外の親族を呼ばなかったので、こうしてまとめてお会いするのは本当に久しぶり。

(末っ子の母が69歳ですから、叔父さん達も歳とったなぁ、、)

せっかくの機会なので、母方のルーツについて色々聞いてみたところ、幾つか知らなかった話が出てきたのでメモ。(だんだん叔父叔母の記憶も混濁してきそうなので、早いうちに文書化しないと・・)

北海道に渡ったのは、自分にとっての祖父、母の父の卓。てっきり曽祖父の代から北海道に渡ったと思っていたのですが、これは間違っておりました。

曽祖父の影定は仙台藩の家老だったと伝わってます。戊辰戦争後になんらかの責任を取らされ切腹。末っ子の卓、娘の清野を北海道小樽に逃したのが道産子誕生のルーツと言われてます。

ところが従姉妹の兄さんが以前に図書館で昔の文献をあたったところ記録が見つけられなかったという話もあり、明治以降の混乱期に何かが起きたのだと思います。(祖父の仕事や立場がわからないほど昔でもないので武士だったというのは全くの捏造でもないかと思いますが、疑り深い自分は、家老という役職には、、眉唾な気分。)

母の兄弟は仙台の祖父が育った武家屋敷跡や菩提寺を尋ねたりした経験もあるというので、たぐれる糸があるうちにもう少し調べてみなくては、とも。自分なりのファミリーヒストリー取材。

俺のバケツにも「■ 48. 家族のルーツを探る」を追加。

父方は、石川で廻船問屋銭屋の船頭だった曽祖父が庄屋の娘と駆け落ちし樺太で漁師になったのがルーツ。母方は、武士の家に生まれた祖父が逃れたのがルーツ。

どちらも逃げてたどり着いたのが北海道とは、道産子らしい!

ジャパン・ハードシップ

披露宴翌日の月曜日、東京の職場にも顔を出し終日あちこちで打ち合わせしたり、ご無沙汰してます・・的な挨拶回り。

どれだけ頻繁にメール、電話、TV会議などで繋がっていたとしても時には必要な、顔を付き合わせてのコミュニケーション。そして直接の関係がないからこそ大事な斜めの関係性のアップデート。

(昼は本日の刺身定食1,200円)

(夜は築地の魚介を居酒屋で頂いて8,000円)

それにしても東京は相変わらず皆さん忙しそうで、週明けから皆の顔も疲れていて、それでいて結構早い時間から飲みにも出ていたり、色々と米国の仕事環境からすると異世界に見えました。会議も沢山ありそうで嫌だなぁ。

日本には日本なりのハードシップがあるということを再認識。しかし、食環境は素晴らしい。

エコノミー預け入れ荷物の重量制限は23キロ@スーツケース

通常は国際線エコノミーの預け入れ荷物制限はスーツケース2個、それぞれの重量は23キロ(50ポンド)までとなっています。

通常の出張や旅行などでは軽々とクリアできる重量設定ですが、これが赴任先に持ち帰るための買い出し要素が出てくると俄かに厳しく感じるから不思議です。

今回の弾丸帰国でも2個の大型スーツケースの1つはお土産だったので帰路は空。ここに買い出し品を詰め込みました。

まずは優先順位一番の仕事用ワイシャツ9枚と買い替えの紺ジャケットを1着、これが緩衝材に。

次いで妻のお祖母様から託された孫、ひ孫達へのお土産達を格納。妻が予め買っておいた雑誌などもあり結構かさばります。

ドンキで見かけたプリンセスグッズも思わず購入・・海外でも十分買えそうな気もしますが。(ペンシルとノート)

長女の勉強用ドリルを山ほど買い込み。(ブランドは信頼のKUMONで統一)個人的趣味で話題のうんこ漢字ドリルも。これが相当な重量に。

そして残り積載可能重量を試算しあんがら最後は私的な買い出しで仕上げ・・・

(日本酒四合瓶を6本)

日本酒6本を、箱に詰めて収めると丁度スーツケース内でビタッとはまって安定感があるんですよね。(あまり汎用的ではない豆知識)

ホテルのフロントで秤をかりて最終計量。まるで試合前のボクサーの検量。一部中身の荷物も調整させて頂き22.5キロと20.5キロに仕上がりました。あと2キロほど攻めれますが、一応予備として。

そして搭乗前に最後の止めとしてお菓子やお酒を免税品店で買って手荷物としてぶらさげてく・・なにやら一時帰国の買い出しも手慣れてきたものです。

出来るときに親孝行

このたびの弾丸帰省、2泊3日を上京してきた母親と同室のツインで過ごし、食事もほぼ一緒に。

親子とはいえ、成人して家を出てから20年ちょい、意外と一緒に時間を過ごしているようで過ごしていないもの。同じ日本で暮らしているときですら東京と北海道で離れておりましたので会うのは年に1〜2回。そう考えると米国に赴任してから年1〜2回、数日会うペースとはさほど変わってないのかも。

(父方の僕の従姉妹のねーさんと母)

母も見た目はまだ若いとはいえ、気がつけば69歳。日々の運動や食事にはわりと気を使っているようですが、だんだんとカラダに不調も出てくるかもしれません。子供としてはいつまでも親には元気でいて欲しいものですが、希望的観測だけではない事実にも目を向けなくてはいけません。

土曜は寿司。

日曜はもつ鍋。

弟の披露宴を挟み二夜連続で二人で夕食を共にし母と色々話をすることが出来ました。これは想定以上に親孝行の機会でもあり、自分のためになったのかもと。

一週間後に再び、今度は妻子連れて日本でまた会えるとはいえ、こうしてじっくり話す時間はなかなかとれないもので(特に孫娘たちが大暴れする中では)貴重な時間となりました。機会を作ってくれた弟と、送り出してくれた妻子に感謝ですね。

(年1回ペースだと、あと15回ぐらいしかあなたの大事な親にも会えませんよ・・という気づきの機会をくれるサイト)

まずは少々先送りしていた母の米国生活視察の日程を詰めるところからはじめたいと思います。やはり思うだけではなく、目に見える形で行動にうつさなくては。出来るときに親孝行。

弟の披露宴

今回の単身弾丸帰国の主目的は、5歳下の弟の披露宴に参列するため。残念ながら、卒園式や終業式を本週末の前後に控えていた娘達は妻と共に米国でお留守番です。

(北海道から上京してきた母、着物なかなか似合ってますね)

(親族紹介)

素晴らしい晴天にも恵まれ、良い挙式、披露宴となりました。

母と一緒に披露宴に出席頂いた皆様への挨拶周り、忙しいことこのうえなし。せっかく弟が奮発して準備したであろう各種日本酒、特に十四代を飲み切ってやろうと試みた四十代兄ですが、あえなく時間切れ。

お父さんへの娘からの手紙では、完全に娘を送り出す父親の立場に感情移入してしまい、並んで涙。(お前は父でもなんでもないだろうとの皆様のツッコミあるなか)

私の義両親、つまりは妻の両親であるパパママにも新郎親戚として参列頂きました。有難いことです。

こうして、結婚という関係を通じ、血縁だけではない、家同士の人と人のつながりが広がっていくことの不思議さをあらためて感じました。そして、妻と僕に義理の妹が一人出来たともいえるのですね。なんだかおかしいな。

A、Eさん、ご結婚おめでとうございます。どうかお幸せに! そしれてこれから宜しくお願いします。