「米国に暮らす」カテゴリーアーカイブ

ニューオリンズで築200年の古民家訪問

出張先のニューオリンズ(テキサスのお隣のルイジアナ州)。

予定変更でポカリと空いた夜に取引先社長からお誘いが。指定された住所に向かうと・・これってニューオリンズで一番の繁華街であるフレンチクォーターのバーボン・ストリートから目と鼻の先・・の一般住居。

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(外からは生活感も感じ無い家ですが、本当にココ?)

ちなみに観光名所として有名なバーボン・ストリートはバー、レストラン、土産物屋が立ち並び、夜になると大変な活気を見せる名物通りですが、てっきりバーボン飲みまくっている酔っ払いが由来かと思ったら、なんとフランス植民地時代のブルボン王家にちなんだ名付けなのだとか。これまた失礼致しました・・・

家主がドアを開けてくれると・・

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(素敵なパティオの別世界が)

なんとこちらの家、現在の家主であるDさんの親族が住み始めたのが1850年代、建築されたのは1790年代という、まさかの200年超の古民家。フランス植民地時代よりも更に前のスペイン統治時代の歴史的建築物だそうな。どうりで歴史(ボロい)の香りが、、

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(色々とリフォームするものの、メンテが大変だそうで)

邸内のあちこちを案内してもらいながら、内航水運業で財を成した彼の半生を興味深く伺いました。まさにニューオリンズの近現代史。

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(こうした古いニューオリンズ港と船の絵が邸内のあちこちに)

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(インテリアを色々考えて作り変えていくのが楽しいとか)

10年ほど前に叔母様よりこの家を引き継がれ(彼の生家は隣の家)、ゼロからインテリアを配置していったので、まさに試行錯誤で楽しんでいるとか(現在も常に検討中)。アンティークの家具があちこちに配置されており、IKEAとかROOMS TO GOで手っ取り早く量産家具を揃えた自分からすると、目から鱗。

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突然、「HIRO、この著者のことは知っているか?」と古い全集を前に話をふられ、これは教養チェックかと身構え・・ん、Hearn、、、うぅ、知らん・・と思いましたが、Lafcadio・・・「あ、ラフカディオ・ハーン、小泉八雲さん!」あやうく玉を落とさずに済みました。

Dさんによるとハーンは一時期をニューオリンズに滞在し過ごしたことがあるらしく、全集のページを繰りながら該当の巻を示してくれました。この全集も市内の古書店で見つけて買い入れたのだとか。

脳の古い記憶の引き出しを探りながら、彼が日本に帰化し、日本人の妻を娶り、日本文化を世界に紹介したこと、その中でも怪談のような民俗学を専門に研究されたこと、などなど。そこからは幽霊や妖怪、はては妖怪ウォッチなど自分の得意分野に引き込みつつ。

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(本日も民間外交)

自分の通常の行動範囲では滅多に遭遇しませんが、アメリカでもごくごく普通に一般教養を備えた人が突然現れるので気を抜けません。今日のところは無事に切り抜けましたが、色々と自分自身には不安を覚えたので、歴史・文学系の振り返りもしていかなくては。。(特にアメリカ関連ぐらいは)

古民家にて、我が身の歴史認識不足を憂う。

 

NYでひれ酒〜JUKAI 寿海

引き続いてNY出張時の外食ふり返り。ミッドタウン53rd St、b/t 2 & 3 Ave. の寿海。ムーディーな隠れ家風のお店に中年男子5名での会食。

メニューをパッとみた感じですと80ドルか55ドルのコースで頂くのがリーズナブルに色々な味も試せそうですが、そこはいさぎよく漢のアラカルト一択。

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(卵焼きにあん肝にいぶりがっこ)

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(ほっけが結構立派で感心する道産子)

お店の雰囲気、サービスの対応、そして料理のレベル、どれも平均点以上で流石マンハッタンで長く店を構えられてきただけあるなぁと感心。(HPにはsince 1968とあります。僕より年上ですね)

→Jukai 寿海 (お店のHP)

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(本日は久しぶりの熱燗ひれ酒にどハマり)

ちょっと心配なぐらい熱燗に味と色が出ておりましたが、久しぶりのヒレ酒の濃厚なお味にクラクラ。熱燗であれば、カリフォルニア米で作ったご当地純米酒でも結構飲めるかもしれません。(早速確認のためヒレの調達を開始)

53rd Stはラーメン屋をはじめ、その他にも如何にも日本を感じさせるお店が複数並んでおり、一瞬どこで飲んでいるのかを忘れさせる空間でした。

普段使いするには少々お値段はりますが、でもマンハッタンはどこに行っても高いですから、こんなものでしょうか。(コースの料理だけでは基本食べ足りない、という前提です)

Jukai 寿海 (Yelpのリンク)
237 E 53rd St
New York, NY 10022
b/t 3rd Ave & 2nd Ave
Midtown East

クォーター収集〜ニューヨークでサモア

自分もオトコのはしくれ。断捨離を唱えながら、やはり時々むずむず首をもたげる収集癖。そんな気持ちを抑える活動の一つが米国でのクォーター収集。(ド定番ですが、家族で収集に興味があるのは自分だけ)

ご存知ない方の為に一応解説しておきますと、米国の25セント硬貨=クォーターの表はジョージ・ワシントンの横顔、裏はワシが通常硬貨なのですが、裏の絵柄が違う二種類の記念硬貨バージョンがあるのです。

一つが米国各州と準州・自治領のデザインが描かれたもの(既に発行は終了)、もう一つは各州の国立公園がデザインされたものです。(こちらは2010年からスタートして、毎年数枚ずつ追加で発行継続中)つまり最終的には100パターン以上の絵柄が存在するということに。

自然体で、お釣りをもらった時に確認してコレクションボードにはめ込んでいるのですが、最初の1年目である程度の枚数が集まった後は、ごくたまにしか追加で手に入らないところが絶妙な楽しみになっております。初期の米国各州記念硬貨はあと5枚だけ。これがなかなか手に入りません。(国立公園の方はまだ発行中ゆえいずれにせよまだまだ)

このほどマンハッタン市内の日系ベーカリーでアンパン買ったお釣りでアメリカ領サモアのコインをゲット! 久しぶりのゲットです。

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(サモアの東側がアメリカの自治領とは知りませんでした)

クォーターの記念硬貨を集めている人は、お手軽なこともあり、世界に1億人以上いるそうです。硬貨自体に稀少性もないので最後は欠けている硬貨をアマゾンで普通に買ってコンプリートしようと思っていますが、できれば偶然に全部集まらないかなぁと期待しています。

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(各州の位置関係と名前を復習するのにも役立ちます)

ボードを買う以外に特にお金がかかる訳でもないので(お釣りでもらうだけなので)、難易度☆、オススメ度☆☆☆の収集活動だと思います。(その割に周囲で集めているという話を沢山きく訳でもありません。皆さん内緒にしているのかしら。。)

こうして一枚のクォーターとの出会いがきっかけで、アメリカ領サモアのWikiを読み(人口5万人)、次いでサモア独立国のWikiを読み、サモアといえばラグビー日本代表が対戦したなぁぐらいのイメージだったのですが、色々と面白いトリビアも補充。

■ 住民の8割が肥満。しかし、最近はダイエットが大ブーム。

■ 女系社会。母親は女王蜂のように肥満化して君臨。多産。

まだ見ぬ知らない世界を想像するだけで愉快ですね。とりあえずウルルン滞在記あたりのバックナンバーを見てみます。(2004年の世界大珍味スペシャルの中にサモアも出てくるようです)

サモア、フィジー、ニューカレドニア、このあたりもいずれ訪問するチャンスをつかみたいものです。(直近→43ヶ国目はバハマ

米国で社交ダンス〜コミュニティの提供

米国で初めて社交ダンスを習いに出かけた体験記の続きです。(前回は→体験レッスン後に個人レッスンが130ドルと知って驚いた話

体験レッスン後に正式入会を決意した私。せっかくだからと先生に勧められ、その日のグループレッスンと、メンバーによる練習パーティーにも参加することに。体験レッスンで踊ったのは正味15分もなかったので、少しぐらいは汗をかいてから帰りたいですし。

■ グループレッスン

グループレッスンのその日のお題はクラブ・スウィングだったかなんだか(名称を正確に思い出せず)、ジルバのような、ディスコダンスのような、という種目のベーシックステップを。

若者からシニアまで幅広い年齢層ながら、ほとんどお互い顔見知りのようで良い感じの一体感。相手が変わるたびにハイタッチしたり、最後に円陣組んで自分達にエールを送ったり、如何にもアメリカンなノリ。

■ 練習パーティー

週に一度のメンバー向けの練習パーティーも、インストラクター4名と共同オーナー1名が混ざり皆でどんどん覚えたダンスを楽しむという実践の場。本日初参加の自分やもう一組の初参加カップルの紹介も交えるなど30名ほどの内輪パーティーながら皆が自然に相手を変えて踊り続けるので退屈する人も出ず。

個人レッスンの費用だけにフォーカスすると、えらい高額・・と思ったのですが、覚えたダンスを使って他の人と踊る機会、コミュニティまでまとめて面倒みようとする仕組みは合理的だなと感じました。(こちらの教室、米国発祥のフランチャイズで世界中にあるそうなので、どこも皆このスタイルなのでしょうか。)

■ オーナーメッセージ

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入会時に手渡されたオーナーメッセージは殆ど自己啓発書の一節。これってフランチャイズオーナー全てに展開されるテンプレートなんでしょうか、それともこちらのオーナーの自作なのでしょうか、興味あります。

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4段階のラーニングカーブとか意識して踊りを学んだことないですよね。

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There are short-cuts to happiness, and dancing is one of them. (Vicki Baum)

ってオシャレな言葉ですが、その後に続く生徒達の声とか、ダンスの様々なプラスの効用の列挙に至ると、これって大丈夫?と猜疑心が浮かんできます。(疑りぶかくてすいません)これぐらいグイグイと肯定するのもアメリカ的とは言えますが。

実際、教室内を眺めていても、日本のアマチュアA〜B級の踊りをしている競技選手から、ウエディングダンスを習っているほぼ素人の方、軽快にジャイブをおどる小学校低学年まで様々、雑多な世界。

練習パーティーでも、アメリカンダンスは全くの素人ですので、一つずつみなさんに教えてもらいながら基本の足型を覚えてました。地元のカントリー系ダンスも3種類、カリビアンなサルサやメレンゲ、バーチャータなどもありますし、自分はごく一部のダンス(インターナショナル)しか踊れません。そして殆どの人はインターナショナル、踊れないし。

途中で一曲だけ、おなじみのスローワルツが流れた時に共同オーナーのMilana先生がまっすぐ誘いに来てくれて、自由に勝手知ったるワルツを踊りました。気持ち良く踊らせて頂いた後に、皆がこれは踊れるんだねぇ!という感じでにこやかに拍手してくれたのが嬉しかったです。今思えば、先生はわざわざそういうお披露目の機会を作ってくれた感じ。(芸が細かい)

個人レッスンを受けはじめるのはこれからですが、自分自身でも競技を離れたところに新たなダンスの楽しみ方を見つけていけるのか、今後が楽しみです。そして継続するかどうかは、このコミュニティに参加出来るかどうかが鍵になる気がします。(ボッチですし)

米国で社交ダンス〜レッスン代が130ドル!?

米国のダンススタジオに社交ダンスの体験レッスンに行って参りました。(ドキドキで予約したのが前回→米国で社交ダンス〜体験レッスンを予約

職場から超近所のダンススタジオをいそいそと再訪問。受付にいたのが電話をくれたオルガ先生(実名)。一応、マイ練習着とマイシューズを持参したと伝えるとそれだけで「Awesome!」とのお褒めの言葉。いやはや、一応は経験者ですから。

さて、直ぐに踊るのかと思いきや、再びのインタビュー。いつダンスをはじめたのか、どうしてはじめたのか、どうして辞めたのか(ブランクがあいたのか)云々。おっと、どうやら適当に応えるだけではだめなのか。

私のダンサー歴史といえば・・・

■ 学連ダンサー時代

大学入学式。綺麗なお姉さんに「ご飯食べに行かない?」と言われついていったところ、そこは競技ダンス部でした。お姉さんが殆ど裸のラテンの衣装で登場した時には埼玉県立男子高校卒業のうぶな僕はおったまげたものです。

気がつけば週3日の部活が4日になり、2年目から7日となり(ダンス教室に通い始めたため)、365日の殆どをダンスして過ごすことになった大学時代。4年で終わるはずが、万全を期して4年目の試合を迎えるという今考えると大変ふざけた理由で自主留年し、追加の5年目はアマで。

あまり成績も出なかったダンサーでしたが、今考えると単に練習が足りなかっただけか。学生の夏の全国大会でスタンダード6位が自己ベスト(団体戦は優勝できたので大変ハッピー)。北海道のアマオープン戦では道新スポーツ杯で4年にスタンダードで2位、おまけの翌年はラテンで4位が一番良い成績。

■ 社会人ダンサー(リーマンダンサー)

20代半ばにちょこっと再開し、財団の東部でスタンダードN級→C級で休業(その後は3年間の海外赴任)。30代前半にまた再開し(しつこいですね)再びスタンダードN級→B級となり35歳で結婚を機に引退。それ以外の時期はたまに練習したり、ダンスパーティーの手伝いをしていたぐらい。

だいたい競技ダンサーとして試合に出ていた期間が累計10年、最後の試合からのブランクが約5年なので、最初のインタビューでは正しく回答したつもりなのですが実際どうなんでしょう。初めてダンスに出会ったのは20年以上前ですけど、それはイコールダンス暦ではないですし。(ずっと精進を続けるプロの道を選んだ仲間のことを考えると特に)

オルガ先生「あなたが昔、若い頃に競技会に出たのはわかったけど、今後これから設定したいゴールは何なの?」とやたら真剣に聞いてくる。それによって指導方針や提案も変わるらしい。(そりゃそうですね)

うーん。

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「競技会に出る気はないけど、ダンスパーティーではちゃんと踊れるぐらいの実力はつけたい(維持したい)。」

「今知らない種目、アメリカンダンスとか、カントリーダンスも踊れるようにはなりたい。」

「いずれ妻や娘にもダンスを覚えてもらい、彼女らと踊ってみたい。」

という3つを自分のとりあえずの目標設定としてみました。いちいち目標とかを最初に宣言させるのは入り口として新鮮。(真の目的は、痩せたい、これ一択!ともいえますが信じてもらえず)

すると、オルガ先生、しばらく僕と踊ったあとに、真剣な顔で角のテーブル席に招き入れ契約書を手にクロージングに入ろうとします。相手の緊張感からも、ここで新規顧客を取り逃がすかの分かれ道なんでしょう。

本日の体験レッスン代が35ドルだったので、確かに自分も驚きました。

まさかの、45分の個人レッスンが・・・130ドル! 最低4回からなので、520ドルを一括払いからで。・・・高っ!

これって日本だと外人コーチレッスンなみの値段設定ですね、、って、確かに毎回自分からすると外人レッスンですけども。

しかし、よくよく聞いてみると少し日本の慣れ親しんだ仕組みとは違っております。この個人レッスンを週1回程度入れると、それ以外のグループレッスンや練習パーティー参加も全部ついてくるのだと。つまりダンスを覚えさせるのが個人レッスンで、その実践の機会をセットで提供するサロン的な仕組み。

僕が月に2回程度の頻度で個人レッスンを入れると、原則同じ週の他のグループレッスンやパーティーにも参加出来るので、月謝260ドル的にも聞こえてきます。(流石に個人レッスンを入れずに、グループレッスンやパーティーだけを毎回来るのはダメよ、と。)

仕組みが完全に納得できたわけではないですが、なんだか面白そうなので(少々高額ではありますが)、ミニマム4回分を契約することにいたしました。(自動更新ではないことはよく契約書を確認)

さっそく本日からグループレッスンと、そのあとの練習パーティーもちょっと参加していきなさいよと勧められました。参加してみたところなかなかダンスとは違うところでも興味深い時間に。(それはまた次回に報告します)

あ、肝心のオルガ先生や、共同オーナーのミレラ先生と踊った感想なのですが・・・見た目通り、5歳とか10歳からロシアでダンスをはじめた彼女らが下手なはずがありません。彼女らは「相当なまってるわねぇ・・」と新たな玩具をみつけた感じでニヤニヤされておりました。

踊ることよりも、英会話や社交に疲れた・・という次回報告にも続きます。