3年と4ヶ月を暮らした武蔵小山ともお別れ。各種郵送物の送付先を変更しておかなくては。
(林試の森公園が近いのもポイント)
これが、投資不動産の分もあるので結構一仕事。義父を納税管理人に指定させて頂き、全部妻の実家宛に変更、変更、変更。
銀行、証券、カード、生保、損保、不動産管理会社などなど、10数社。これを機会に口座やカードを減らせないか検討しましたが、なかなか難しい。
あまり使用しないJALカードをただのJALマイレージカードに降格させる事も考えましたが、どうせ持ち歩くならバックアップ用にクレジット機能があって欲しい気もするし。。
結局、銀行口座は、家計、自分、不動産用の3口座、証券口座は2口座。カードは、ANA、JAL、楽天(妻の買い物用)の3枚で現状維持。
なんとか登録住所の変更は完了!
さて次はなんだろう。
スーツを2着新調(ツーパンツで)。ついでにスラックスも2本追加。これで驚きの合計10万円。(高島屋のセール期間にて)
(イージーメードですが、サイズぴったり)
3つのモデルから選べるのですが、ブリティッシュを選択。ややシェイプされたスタイルが特徴で、これをジャストサイズで作りました。
買いに行った時は(美登利寿司を楽しむことも出来ました)今回の赴任辞令を想定してませんでしたが、結果的には良いタイミングでした。
品質xコストでは、日本は色々な商品で相当なトップレベルにあると思います。衣類もかなりお得な気が。(まして今回の半期に1度のセールは凄い)
久しぶりに百貨店にてスーツを購入しましたが、対応もしっかり。思わず追加購入も考えましたが、通常価格をみて直ぐに断念。次のセールで妻に布だけ選んで2着作ってもらおうかな。
(今回のサイズは既に記録取られているので)
発作的に全てのスーツを捨ててみたのが1年半前(→まずスーツを捨てる)結局やせてません。(それどころか増加)
■ 結論、スーツを捨てても痩せるわけではない
海外赴任の事実を親族に告知するタイミングも重要。
特に歳を重ねている方なれば尚更。
妻の祖母、つまり娘にとってはひいお祖母様をランチにご招待。
そしてひとしきり歓談の後、海外赴任の話を伝えようとする。。
あれ?この場に残されているの僕だけ???(妻もパパもいないし)やむをえず、お祖母様に対してピンで、海外赴任の話をお伝えしました。
やはりご自身の年齢を考えるとひ孫(達)へ会える機会がなくなるのは寂しいはず。直行便で12時間かかる外地に気軽に遊びに来て下さいとは言えないし。
なんとも表現できない空気が流れました。
これって5年以内に定年を迎える会社の先輩(上司)への挨拶でも同じ。家族ならば会う機会ありますが、会社は離れてしまうと機会もなくなります。
社内外に赴任の挨拶まわりをしながら別れを意識する日々です。
それにしてもヒューストン情報が結構少ない。
海外赴任は家族帯同が基本ですが、うちの場合はどうでしょう。
妻と家族首脳会談を開催。
(娘は5月に3歳です)
まず我が家の場合で考えるべきは、日本で産むべきか、米国で産むべきか。やはり妻は両親のサポートが大いに期待できる日本を迷わずに選択。
米国で生まれた場合、日本国籍と米国国籍を選べるという利点?がありますが「日本人なんだから、それでいいでしょ。」と言える国に生まれてホント幸せ。
さらに上の娘をプレ幼稚園に4月から通わせることで、6ヶ月だけでもいいので日本人の中での集団生活を経験させたいという妻の言。(な、なるほど。)
結果、7月に第二子を出産し、11月頃に合流する予定としました。さすが、よく色々な方向から妻は考えているなぁと感心。
(4月からのプレ幼稚園グッズを妻が名前入りで準備)
家族としばし離れるのは寂しいですが、当初は仕事に専念できるのはいいかも。ネットさえつながれば、SKYPEなどで連絡も取れるでしょうし。
しっかり生活のセットアップして、家族3人を迎え入れるようにしないと。そのために、まずは単身でGO。
出発は4月20日の予定、いまから1ヶ月後です。
さて、海外赴任の辞令を頂いたものの何をしよう。
とりあえず父親の墓前に報告に行くか、、って感じで帰省。
(見事に雪野原)
・・・3月の北海道は、墓が雪の下に埋まっているんですね。
しかし、ここを記憶だけで掘り出すのは流石に無理が。。
管理事務所に行って区画図をみせてもらい、目印になる墓から列を数え・・ようやく掘り当てることが出来ました。
(ホントにここか??)
(あ、出てきた、、)
(両親はクリスチャンなのです)
ちゃんと報告出来てよかった。場所は重要じゃないかもしれませんが、やはり思いが伝わる気がします。
あなたの息子がアメリカで仕事するなんて不思議ですね。
僕も不思議です。
石川で生まれたひいおじいさんが樺太にひいばあさんと駆け落ちし鰊漁師となり、郵便局でまじめに働いていた祖父は1945年にソ連軍に捕まり、数年後に解放された後に、ようやく北海道に引き上げてきて子供達を大学に進学させ、長男が海外で働く機会を得て、さらにその娘達が帰国子女になるなんて。
なんにせよ頑張ってきます、と。
よく飲み、よく食べ、よく読む、中年男子のライフログ〜人生の達人を目指してます。2024年4月〜ロンドン在住。