初めてのポチスパ

以前、ふくべ鍛治さんから包丁を購入。(→アオリイカにイカ裂き包丁デビュー)その際、包丁研ぎ宅配サービスを手がけていることを知って、いつか試してみようと思っておりました。

思い立ったら、吉日作戦。

包丁ぐらいは自分でいつでも研げるようになりたいと砥石も整備して時折挑戦しているのですが、どうにも実力が上がらない。ここはプロの研ぎ上がりを体感してみたい、と思ってポチスパ。

我が家の刺身包丁、出刃包丁、片刃のステンレス包丁。

さぁ送り出そうと思って、届いた指定の箱に3本の包丁を入れようとすると、刺身包丁の刃渡りが規定サイズより長くて収まらず。

さて困った。。というのも、我が家には、あとはイカ裂き包丁しか残ってないですが、まだ切れ味は悪くないし・・2本しか入れないのも勿体無いし、、と。

あ、子供用の包丁があった。

あえて切れ味を悪く作られた包丁をキレキレに。ふざけている訳ではございませんよ、刺身包丁が入らなくて・・との釈明のお手紙は入れときました。

さて、どんな感じで研ぎ上がるのかが楽しみ。それまで我が家は万能のイカ裂き包丁で全てを料理です。

東京の土地を買える気がしない

東京で賃貸アパート暮らしをしています。23区内なので都心と言って良いと思いますが、最寄り駅までは15分ほどかかる立地。

最近、近所の通勤路沿いにあった古い家が取り壊されて更地になりました。売却しようとしているのです。

恐ろしいのが、その値付け。
88坪で3億2千万円。は、3億・・・?

東京の土地を買える気がしません。(買う予定もないですが)

駅が近くない立地でもこの値段とは恐れ入ります。北海道の私の実家があったエリアは坪数万円でした。何桁か金銭的な価値が違います。これでも同じ日本の土地とは。。。

最近、自分の祖先のことを考える機会が多かったのですが、誰か目端の利く人が、東京の土地、ちょっと買っておくかぁ・・・と行動にうつしてくれれば・・と考えたりもします。

いや、でも、何もないからこそ、かえって良かったのか。(子孫達が争いようもないため。。)何世代も前からゼロで死ね、の精神が流れていたのかも。(→ゼロで死ね

最近のバケツ(2023年7月)

最近、バケツの調子が良いです。

あ、バケツというのは、死ぬまでにやりたいことリスト=バケットリストのことで「俺のバケツ」ということで定期的に見直し、更新をしています。(→俺のバケツ

母親に上京してもらった機会に、、親孝行も兼ねて・・

■ 48. 家族のルーツを探る

についても大分と駒を進めることが出来ました。(→仙台藩士の曽祖父)まだ存命の叔父も喜んでくれたとか。

■ 69. 町内会の仕事をして、地元の祭りに参加する

町内会は会費を払っているだけですが、ボーイスカウトの保護者として→地元の祭りに参加が叶いました。

■ 41. 一生社交ダンスとはゆるやかに関わり続ける

2022年夏から習い事として再開が出来たダンスが日々の暮らしに彩りを与えてくれているのは間違い無いですし、増量の抑止力としても機能しています。(減量には至っておりませんが)

最近、着々とやりたいことをやれているな・・と思いながら、はたとその理由に思い至りました。5月に友人が逝ったからです。

自分にとって死はまた一つ身近なものとなり、人生に終わりが来ることをより意識するようになりました。だからか。。

中年ブロガーで自己メディアの編集長

時々、本ブログ継続の是非を自らに問いかけてます。

そこそこ更新には時間を取られることでもありますし、最近はChat GPTも登場して、軽い雑文を発信することの価値が下がった気がします、少なくとも読み手の立場では。

ただ、これを書き手の立場で考えてみると、引き続きアウトプットを自ら行うことの価値は変わらず、アウトプットを前提にしたインプットの効能たるや保証済み。自分の中でPDCAが回る日記的な効果が確実に出ると思います。(→ブログは日々のPDCAを回す自己メディア

ある時は自称中年ブロガー、またある時は自己メディアの編集長として引き続き自分自身を、時には客観的に眺めながら、海図なき人生の舵輪を握りたいと思います。

現実とブログ更新日時がずれるのはQOLが足下で下がっていることへのアラート。ブログ、食べログ、読書メーターを遅滞なく更新出来ているかが、自分にとっては日々の時間管理の中に少々の余白(無駄)が作れている証拠です。

さて、来週は平日に会食や飲み会が3日あって土曜は接待ゴルフ。休肝日とする2日(そのうちの1日はダンスのレッスンと兼務)で本ブログを更新しながら、自分の身体と心の調子を整えていけるかな・・と作戦会議な日曜の晩です。

きっと狩猟採集社会がルーツ

先日、母と共に茨城に暮らす父方の叔父夫婦を訪ねました。

2022年3月に弟と出かけて以来(→ルーツを感じる旅)ですから、私は1年と少しぶりの再訪、母はこのマンションは初めて。年金生活に突入した叔父夫婦が仲良く暮らす天上の秘密基地。

(楽しいおしゃべりで大盛り上がり)

叔父は、亡くなった父の5つ下なのですが、父が生きていて70代になったらこんな感じだったのかなぁ・・と想像させてくれる貴重な存在です。

お酒が好きで自らボロボロになるまで飲んでしまうところも似ておりますが(楽しいと特に)、畑を耕して自ら農作物を育てたり、自然の中で漁撈採集に取り組みたがる趣味嗜好が非常に似ているのは父方の兄弟共通であり、これはきっと祖先のルーツが関係あるのかな、、などと考えてしまいます。

翌日の朝食に出てきた味噌汁の具は自ら大洗海岸の潮干狩りで取ってきたという蛤でした。お漬物の水茄子なんかも自家製。朝から美味しくいただきました、感謝。

今回、母の父方である武士のルーツを探ってみましたが(→仙台藩士の曽祖父)、父方は、ニシン漁師の息子(私に取っての祖父)と商売人の娘(祖母)が一緒になった家系。

なんとなくですが、私に流れている血には農耕社会よりも狩猟採集社会の影響を受けた血が強く流れている気がします。そんな仮説をいずれ検証、研究してみたいと思います。