「俺のバケツ」カテゴリーアーカイブ

春休みの沖縄編〜コト消費検証

久しぶりのコト消費検証、今回は国内旅行の沖縄編。

これまでの検証ですと、大体は4人家族(大人2人、小学生2人)で出かけると1泊あたり5〜8万円でしたが今回は春休みのハイシーズン、そしてインバウンド客が集まる沖縄だけにどうなるか。

■ 琉球ホテル&リゾート名城ビーチ三泊(朝食付)240,000円
■ 交通費(主にタクシー代、レンタカー代)     25,000円

羽田〜沖縄のフライトはANAマイルでGOさせて頂きました。

毎晩、糸満市内まで繰り出して?沖縄居酒屋に。

■ 旅行中の飲食代(含むお酒)  50,000円
■ アクティビティ        20,000円
■ お土産代           15,000円

だいぶザックリ計算ですが(仕事じゃないので)、〆ると大体35万円となりました。3泊4日だったので1泊換算で12万円近くに。今回はホテルと朝食ブッフェで贅沢したのでやむなしです。毎朝あれこれ選ぶのがサイコーに楽しかったです。

妻や娘の友人達にも再会できましたし、私もいつもと違う場所からリモートワーク&ワーケーションが出来てしっかりデトックス出来ました。いつものようにコト消費はプライスレスな正義。

さぁ、また楽しく遊ぶために、しっかり働こう。

<バックナンバー>
◇キャンプ2021編→家族で1泊キャンプするのにいくら
◇帰省編→家族で2泊帰省するのにいくら
◇国内旅行(八丈島編)→家族で2泊旅行するのにいくら
◇キャンプ2022編→家族で1泊キャンプ&合同BP
◇国内旅行(鬼怒川温泉)→家族で2泊旅行するのにいくら

資産ポートフォリオ(2024年3月)

資産ポートフォリオの定点観測。(前回観測は→2023年5月

前回から色々と金融資産の方では整理整頓的な動きを取っており、投資信託は一旦全て売却して個別株に振り替えた結果、足元で不動産と個別株が2:1の比率となりました。

あと10年後ぐらい先を目処に、不動産と、現金・個別株・投資信託を合わせた金融資産が、1:1となるよう整えていく計画です。

ポートフォリオは整えながらも、並行して徐々に資産取り崩しを開始。今から50年ぐらいかけてゼロに向けていこうとしているのは→ゼロで死ね〜DIE WITH ZEROの影響。

これから10年ちょいぐらいは、教育費が徐々に大きな支出項目となってくるので、これをどうやって賄っていくかが家計運営の鍵となりそう。支出が収入を上回ると、資産は成長しませんし。

80歳の自分にお金を借りる〜ゼロで死ね

中年の習い事で人前に出るために50万円ほど、いや、出来れば100万円ほど工面する必要が。(→そろそろお金を工面

こんな時に思い返すのが、ゼロで死ね、の考え方。(→ゼロで死ね)なかでも、以下の点は現在の状況にどんぴしゃり。

■ 今しか出来ないことに投資する
■ やりたいことの賞味期限を意識する
■ 45〜60歳に資産を取り崩し始める

いくらこの先もそこそこ長く楽しめるかもしれない趣味の社交ダンスといっても、どこで足腰が弱ってくるかは分かりません。良い先生に出会えないこともあり得ますし、このレベルで踊って楽しめる賞味期限は、割と今かも。

・・ということで、イメージ的には、80歳になった自分に一言断りをいれて、その頃になっても使いきれずに残っているであろう1,000万円のうちの、100万円ほど前借りすることに。

借用書は書きませんが、覚えとこ。(ブログにメモ)

最近のバケツ(2023年7月)

最近、バケツの調子が良いです。

あ、バケツというのは、死ぬまでにやりたいことリスト=バケットリストのことで「俺のバケツ」ということで定期的に見直し、更新をしています。(→俺のバケツ

母親に上京してもらった機会に、、親孝行も兼ねて・・

■ 48. 家族のルーツを探る

についても大分と駒を進めることが出来ました。(→仙台藩士の曽祖父)まだ存命の叔父も喜んでくれたとか。

■ 69. 町内会の仕事をして、地元の祭りに参加する

町内会は会費を払っているだけですが、ボーイスカウトの保護者として→地元の祭りに参加が叶いました。

■ 41. 一生社交ダンスとはゆるやかに関わり続ける

2022年夏から習い事として再開が出来たダンスが日々の暮らしに彩りを与えてくれているのは間違い無いですし、増量の抑止力としても機能しています。(減量には至っておりませんが)

最近、着々とやりたいことをやれているな・・と思いながら、はたとその理由に思い至りました。5月に友人が逝ったからです。

自分にとって死はまた一つ身近なものとなり、人生に終わりが来ることをより意識するようになりました。だからか。。

まさか八幡太郎義家〜家族のルーツを探る③

母方のルーツは武士、でした。

お墓を確認した曽祖父の名前が、宮城図書館の歴史資料の幾つかに名前があることをもって、仙台藩士として実在したことも確認出来たのが前回までの私的調査。

幾つかの資料の中で、私本仙台藩士辞典や伊達世臣家譜、仙台藩家臣録などの資料から、本家の出自、その後の分家の成り立ちがおおよそ分かりました。

記述によると、仙台藩家臣となる前、三河国上野村に住んだ祖先の義有を基点に、14代後の景明が豊臣家に仕えて1,700石を給され、元和元年に伊達政宗に召し抱えられ400石を禄し、後に600石余になった・・のだとか。(よくもまぁ、ご存じで)

その景明の孫にあたる景俊が藩内で活躍したことで本家の地位も上がり、前後して4つの分家が生まれた経緯が書かれてます。確かに苔むした墓と墓誌から読み取れた中でも、寛永16年に亡くなった景俊の墓誌が一番イケイケな感じの記述でした。

本家が600石、分家は200石、150石、100石。どのような系図が明治維新を迎えた曽祖父まで伸びてるか今後調べたいところ。

しかし、さらに祖先まで遡ると、上野村に住んだ義有は足利尊氏の六男で、足利尊氏から5代前に遡ると源義家、通称八幡太郎義家・・となると、少々この系図が眉唾モノな気がしてきます。

源義家って・・平安時代後期の方。これって、皆が清和源氏の子孫だと主張した流行りの流れまんまじゃないかと。

なんとなく信用出来るのは曽祖父と同じ場所に墓誌がある景俊あたりからかな、、という気がします。それでも1600年代、江戸時代初期の武士ですから、想像以上に家族の歴史を遡れたことには驚きました。

■ 48. 家族のルーツを探る

今回は母方でしたので、次は父方もですが、今しばらくはサハリンの地に赴くのは難しそう。