「米国に暮らす」カテゴリーアーカイブ

昼間の妻は

ヒューストンにやってきて4週間目の妻。

昼間は、買い物にいったり、ランチにでたり、娘達を遊ばせたり・・わりと活発に活動している気がします。(少なくとも家にはこもってません)


(パパにもママにも感謝、感謝なのです)

でも、それもこれもママ(妻の母)が運転や育児をサポートしてくれるからこそ。残り1週間、ママが帰国してからが本当の米国生活の開始だと思います。

先に日本に帰国したパパの様子が気になるようで毎日のようにLINEで会話してます。妻から僕にはそんなに連絡来なかったなぁ、仲良しですね。


(運動神経抜群なお兄ちゃんと)

週3回長女を学校に送り迎えすること、必要に応じて買い物が出来ること。・・・4ヶ月の次女を抱えながら。

まずはここを妻が自信もって出来るように僕はサポートしていかないと。病院など、今まで運転したことのないところへもこれから挑戦してもらわないと。

妻が日本にいた頃よりも、昼間どうしてるかが気になるように。
携帯での連絡が命綱です。(その携帯が使用料未払いでかる~く止まり焦りました)

プリスクール初登校

いよいよ本日から長女がプリスクール登校開始。年内のうちは週3回、月水金の14時までで様子をみることに。


(家から車で5分です)

先生に挨拶ぐらいしておこうと僕も初登校。


(駐車場はたいして大きくないので、妻は運転注意です)

今日は何もやることはないと聞いてたのですが、実際は両親の指紋登録や入り口のパスコードの説明など、結構やることあるし。

担任の先生とクラスを紹介されたのですが、ラッキーな事に週末に遊んだばかりの3歳のHちゃんと同じクラスに。(日本人は各クラス1人程度はいる感じ)

最初は英語もわからないので、勝手知ったる子とおなじになるのは一安心。さっそく手を引かれて遊びの輪に入ってきました。


(お昼ごはんはお弁当持参でも、スクール給食でもOK)

昼寝ができなくてちょっと悲しくなって泣いちゃったみたいですが、なんとか初日は無事クリア、元気に帰ってきたそうです。

がんばれ、がんばれ。

ジイジの地図

米国生活をスムーズに立ち上げるための次の課題。それは妻の運転技術の向上と慣れ。

(君達の平日の移動能力はお母さん次第だね)

学生時代に免許取得以来運転はしてないそうなので、免許証=身分証の彼女。ところがもっと危なっかしいかと思えば、結構運転出来そうなのでまずは安心。

これなら少々練習するだけで近場を乗り回すぐらいになってくれそう。問題は如何に安全に経験を積むか、です。

右側通行なので、右折を中心に走る分には簡単で安全かしら。そう思っていたら、ジイジが残していった近所の運転地図を発見。

(見事に右折だけで食料品や学校を回れるルートを図解)

手書きの地図を眺めていると、パパより娘への深い愛情を感じました。孫達の安全もかかっているので尚更か。

プリスクールへの道

3歳半の長女をプリスクールに通わせようと近所の候補スクールを見学。周囲の評判なども参考にしつつも、すぐ決定。(近所が一番)

(3ヶ月ぶりの再会の瞬間の長女の表情)

申し込みに必要な書類を眺めると予防接種受領済みの医師の証明書が。おぉ、そういえばそんな話があったな。。

あわててホームドクター(かかりつけの医師)を決めようとすると、その前に家族名義の医療保険の申し込みが必要。

結局、医療保険の申し込み、ホームドクターの申し込み(診察はまだ)まで完了し、プリスクールには後日書類提出で了承頂き何とか来週から通学出来る事に。

ここまで何だかんだと1週間程度。自分も割りと判断は早い方ですが、妻も相当なものだなぁと密かに感心。(但し、我々の判断が常に合っているかというとそれは別問題)

このプリスクールは、4歳からの公立プリキンダーへのつなぎという位置づけ。月謝800ドルという私立プリスクールにはさすがに長くは通わせられません。

どんなところなのか。
長女が頑張れるのか、今から親のほうがドキドキします。

陽気と国境

カリフォルニアのサンディエゴを初訪問。さすが冬でも温暖な気候と、西海岸特有の陽気な雰囲気にテンションUP。

米国人にとっても住みたい街のランキング上位という話に納得。
気候が良くて食べ物も美味しくて、こちらまで陽気になれそう。

(お目当ての寿司を食べに・・高かったけど美味しかった)

サンディエゴからは陸路で国境を越えメキシコのティファナに。わずか車で1時間ほどの距離ながら、貧富の差が映し出して街並みが激変。

つい数年前はティファナの警察とマフィアが激しい銃撃戦を行い市内にも死体が転がっているようなとんでもない状態の時もあったそうですが、現在は治安も落ち着き暮らしも穏やかになってきている様子。

相変わらず国境越え手続きの非効率な感じは解消されてませんが。国境という見えない線を境にして、あちらとこちらで全く異なる暮らし。島国の日本ではなかなか感じられない現実に少し考えさせられました。