人生のバケットリスト(自称:俺のバケツ)の棚卸し、虫干しも定期的に。
先日「人生の達人となる(自分の人生を、主体的に生きる)」を振り返ったので、その続き。
かれこれ一年近く、コロナのおかげでどこか自由ではない暮らしを皆が送っております。それでも、これまでとは違う世界にも思わぬ発見や意外な学びが溢れていて、不便や不自由さはあるものの、何とか生きていけるものだと感じます。
なぜ、新型コロナなんてものが蔓延するんだ、なぜ、こんな世界になったんだ・・・なぜ、なぜ、なぜ・・とトヨタばりに、なぜを繰り返しても分からないものは分からない。
そんな時は、どう生きるのかに意識を向けた方が、ずっと気持ちは楽になる気がします。だって、もう今、生きているんだから。
■ 2. なぜ生きるのか?ではなく、どう生きるのかに意識を向ける
勿論、なぜ、WHYが不要だとは思っていません。でも、人生を考える時は、なぜで足踏みをし続けるのではなく、どうやって、HOWに意識を向けた方が人生が動いてくるような気がします。
(朝食を抜くようになってから、お腹をすかせて頂く昼食が美味しいです。これもどのように生きるかの一つのカタチ?)