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ポルトガルのもつ煮込み〜トリパス

NYロングアイランドにて先月デビューしたばかりのポルトガル料理店を再訪(→初ポルトガル料理〜Lisbon Cafe

先日訪問時は、ポルトガルの郷土料理として有名なトリパスというもつ煮込みを食べることが出来なかったので、今回はこれを目的に。米人同僚の行きつけのお店で予約無しでも悠々と。

(如何にも地元の店という佇まい)

グリルしたタコ、ポルトガル風ソーセージにエスカルゴ、タラのフィッシュケーキなどの前菜をタパス的に頂いてからメインに移ろうとしたのですが、この前菜がめちゃめちゃ量が多くて既に腹は7分目。

目的としてきたポルトガル風のもつ煮込みトリパスは、牛の胃とインゲン豆などを使った煮込み料理。イタリア料理でもトリッパといって牛の二番目の胃(ハチノス)がトマトソースで煮込まれた料理があり好物なので楽しみにしておりました。

ドドーン!・・・って、なんで小鍋?一人分のはずが・・

これだけの量を一人で食べることが出来る人がいたら驚くわ・・・でも美味い! じっくりと煮込まれたトリパスの滋味が体に沁み渡ります、胃だけに。

そしてこれはこれで絶品ながら(特にワインに合います)、あらためて日本的なもつ煮込みの味も懐かしくなりました。牛は勿論、豚や鶏がありますし、使われる内臓も様々な部位に及びますよね。醤油や味噌ベースだとちょっとワインには合わなくなりますが、それはそれでその土地の酒に合わせれば良いわけで。

なぜかNY郊外のポルトガル料理屋で日本を思ったもつ煮込みの夜でした。(全く食べきれないのでBOXにして同僚に託しました)

NAGASHIMAと書いてロングアイランドと解く

NY出張では普段マンハッタン市内に宿泊することが多いのですが、仕事で足を運ぶお隣のロングアイランドで夜の食事をとる機会もたまにあります。

そんな時、僕の和食の一択はNAGASHIMA。(他にもTORIGOやTEINEI-YAはありますが・・)

(過去のバックナンバー)
■ NYで海鮮ちらし〜NAGASHIMA
■ ロングアイランドで和食〜NAGASHIMA
■ ロングアイランドで筋子手巻き〜NAGASHIMA

ロングアイランドに店を構えられ早27年。店の名前もそのまんま地名通り。(NAGASHIMAと書いてロングアイランドと解く。その心は・・と初来店の人に投げかけてます)

年3〜4回しかお邪魔できませんが、毎回とっても楽しませて頂いています。

米人同僚を連れて行く時は少しフュージョン気味にして頂き、和食、和食の抵抗感を減らして頂いたりもできますし、

先輩と一緒にカウンターで、きっちりお寿司をおまかせで頂いたり・・と使い方も自由自在。同じクオリティの料理をお隣のマンハッタンで頂いた日には・・1.5〜2倍はするだろうなぁ、、。

今回お邪魔した際に大将とお話させて頂き、テキサス在住ということをご認識頂きました。地元だったらもっともっと頻繁に来てますよ・・。

ノルウェーのキングサーモンやアルゼンチンの赤海老など、なかなか日本では聞けない魚介ネタの話も聞けて、心もお腹も毎度大満足。特に大将特製の海鮮チラシは絶品。

今年はようやく2回目の訪問。再訪を計画しなくては!

それでもユナイテッド一択

オーバーブッキングで乗客を強制的に引き摺り下ろし、さらにその後のCEOの対応がお粗末だったため、米国でも稀に見るレベルで炎上したユナイテッド。

かねてよりユナイテッドの奴隷を標榜している私からすれば(→ユナイテッドの奴隷)、何を今更・・との心境。どれだけ乗客を貨物並みに扱おうが、それでもこの選択肢しかないと思わせる寡占環境には逆らえず。

オーバーブッキングで便を変える乗客を求める姿はいつものこと。但し普段は400ドルが800ドルぐらいになったところで自発的に誰かが便の振替に応じるものなんですけどね。強制的にコンピューターで選ばれ、引き摺り出されるまで抵抗するなんて相当の異例。

おそらく自分は一番安い航空券を買ってはいるものの、ステータスがプラチナなので、抽出される可能性は低いのではないかと考えていますが、物分かりの良いアジアン(更には日本人)なので、意図的に選んで来る可能性もあるかな、と。

今週もユナイテッドにお世話になりニューヨークとヒューストンを往復。今回も行きの便は遅れ、帰り便にいたっては早朝に突然欠航になりクリーブランド経由の便となりました。

だいたいが早朝便の欠航って機材繰りだけが理由ではなく、乗客数が少ないから欠航にしちゃえ・・という経済的な事由がかなり含まれている気がします。(アルゴリズムに従って・・)今回も相当・・プンプンです。

そして、その時の振り替えは、完全にチケットの値段順と、ステータス順のたすき掛け(ひょっとするとステータスの方が重要かも)。同行していた同僚がシルバーステータスで、対応の違いが如実に(自分の場合はヒューストンまでの最速の振り替えが座席指定含め完全自動。同僚は全て手動@カウンターにて)

当たり前ですが、欠航に際して「申し訳ない」というような空気感はゼロ。「こうなってるけど、どうする?」的な気軽なノリ。それでいて、フライト後には「お客様の声を聞かせてください」的な一斉送信機械メール。

それでもユナイテッド一択なのが辛いです。

でもこちとら、プライベートユースではなくビジネスユースなので、どうしても自分のベースとなる空港からの便数や乗り継ぎの利便性が第一。与えられた環境下で一番過ごしやすくするしかありません。

ヒューストン空港(HobbyではなくIAH)のEターミナルに新しくアジア(日本)的なカフェゾーンが出来るようです。

このイメージ図を見ていると先日仰天したNYの居酒屋ケンカを彷彿させます(→居酒屋ケンカ)これが典型的な日本のイメージをデフォルメしたものだとしたら笑えますね。

(どんだけイタリアとのイメージの落差があるのか、と)

ユナイテッドについては、どうせ奴隷生活も4年目となったのであれば、奴隷の最高峰、プラチナの上の「1K」を目指してみたいものだということも考えますが、今のところはどう計算しても年間10万飛行マイルには到達できず。

2017年はここまで割とハイペースでマイルを積み上げ2万2千マイル。5月から6月の日本一時帰国二連投で2万6千マイルが加算、6月末での5万マイル越えが確実。しかし、残る半年でもう5万マイルを飛ぶ予定はさすがに立たず。それどころか、もう2万5千マイルを積み上げ7万5千マイルのプラチナ維持もギリギリ。

今年のマイレージ&ポイント戦略は、プラチナとゴールドの維持であったことを思い返して修行に精進したいと思います。(→マイレージ&ポイント戦略2017

2017年4月の読書ログ

前月に引き続き冊数としては少な目。

読み応えのある上下巻でした。人類が繁栄した鍵は虚構(フィクション)を信じる力だ、というのはとても新しい視点だと感じました。虚構とは、宗教や国家、貨幣なんかのことです。確かに。

また農業が人々を不幸にしたという考え方には目から鱗。そして資本主義の限界への警鐘。人類は一体どこへこれから向かうのか。知的興奮を味わえる一冊です。

 

ノンフィクションって、読むべきジャンルな気がします。まさに著者が経験した世界を追体験できるという意味で。

 


 

作家の楽しみも様々。

 

すっかりバイリンガルニュースのまみさんとマイケルのファンになってしまい、著作から情報収集。

 

感服しました、色々な意味で。(すごい情熱、これがやり抜く力か)

 

典型的な洗脳環境で育った身ながら、自分の娘達には果たしてどのような道を歩んで欲しいかということを考えさせられます。少なくとも自分達とは違うのだろうな、と思いつつ。

 

大学1年生の頃、深夜に時給800円でセブンイレブンでバイトしていた事を思い出しました。結局、ダンスホールのダンサーのバイトを2年の秋から始めて引退しましたが、あれはあれで楽しかったなぁとか・・コンビニ人間には進化しませんでしたが。

年間200冊読もうと思うと、4ヶ月で49冊では少々ビハインドです(4ヶ月で67冊、読んでいてもよいはず)。

5月から7月の3ヶ月間で巡航速度に取り戻す事をこれからの目標の一つとして織り込みたいと思います。・・3ヶ月で70冊、つまり累計119冊・・結構多いですね。やはり漫画やゲームに伸びがちな手をピシリとやることが必要そうです。

■ 49冊(2017年)

あれから16年

4月30日は事故で亡くなった父親の命日です。

初めてブログに記録を残したのは2007年。(詳しい経緯については→あれから6年、まだ6年

その時からさらに10年が過ぎ僕自身の生活にも色々な変化。53歳で逝った父の歳に追いつくまで、あと10年ほど。その頃には娘達も16歳と13歳。自分の場合は53歳で逝ってはいかんな・・と強く思ったり。

人生はどこで終わるかわからない、そして当たり前だけど人の命は有限であることが、自分が父の死を通して強く学んだこと。

弟の場合はもう一歩踏み込んで「人生は短い。好きな事をどんどん見つけ、どんどんトライしないと。」と受け取ったようです(FBの投稿によると)。これは兄弟でも各自それぞれ。

2001年の自分から今の2017年の自分を見たらどう思うだろうか。ちゃんと有限の人生を思って、色々と舵は切り直した結果が今だと思うのですが、それでも常に違う形で荒波安定です。

16年が過ぎ、父と同い年だった母は69歳になりました。27歳と22歳だった兄弟は、42歳と37歳の中年です。これまでと同じ時間、あと16年たつと弟が53歳になって父と同じ歳になるんですね。そしてそこから記憶の中の父は一番年下?に。

母にはあと16年ぐらいは元気に生きて頂いて・・85歳ぐらいまでしっかり人生を謳歌してもらいたいと改めて思いました。その頃自分は58歳・・うわぁ、、しっかり背筋伸ばして働けているよう今から気合い入れ直していかんと。

そして弟は、なんと来月結婚するそうです。

生きていたら69歳の父は、一体どんなことを考えただろうか・・な〜んてことを思いふけりながら、故人を偲ぶ夜。