「俺のバケツ」カテゴリーアーカイブ

あと50年使えるカラダ作り

来年以降の目標設定を考える中で、やはり中長期の視点での習慣整備が必要だなと感じています。特に全ての活動の土台となるカラダ、健康。

(先日、家族に43歳到達をケーキと共に祝って頂きました)

これまで自分のバケットリスト(俺のバケツ)には、健康・カラダ系の願いには、

■ 12. 見た目年齢、実年齢マイナス5歳以上を維持

というものが入っていました。これすらなかなか挑戦的な目標ではありますが、夢はもう一段大きく、今から50年、しっかり健康に生きるための体づくり、というものを考えてみたいと思います。

■ 16. 死ぬまでしっかり活動可能なカラダ作り

目標達成には一定の運動習慣のインストールは勿論ですが、食事や睡眠への取り組み、根っこからの意識改革がより重要な気がします。

睡眠については負債返済を意識してから、活動時間は減ったものの起きている時間のパフォーマンスは上がった気がします。(→睡眠負債の返済開始

■ 17. 睡眠負債を貯めない

ここに多少行き当たりばったりな食事習慣見直しと、なかなか定着しないカラダづくり系の習慣導入、10年近くもがいている公開減量生活の結果実現・・などの諸活動をうまく統合していければと思います(今度こそ着実に)。

人生100年時代・・にはあと7年届かない計算ではありますが、93歳まで50年、自分にとっては十二分に高い目標設定で・・ワクワクします。

細かな作戦の肉付けはこれから。(おっと、カラダへのこれ以上への肉付けは厳禁)

自分の箱から脱出する、と決めた

数年ぶりに再読しました、自分の小さな「箱」から脱出する方法。そうなんだよなぁ・・。

箱とは、自己中心的な考えに囚われている状態の例えで、どうやってその箱から抜け出せるか、そして抜け出した状態を保つか、入っっても直ぐ出るか、という事が書かれています。

まずは現状を認める事が第一歩。

■ 僕は問題を抱えています
■ 僕は箱に入っています(たまに出るけど、また戻る)
■ 僕は箱の中から自己を正当化しています
■ 僕が箱に入っているから、相手を箱に入れてしまいます

家庭でも、そして職場でも、箱の中に入っていてはリーダーとしての責任を果たせません。早急に箱から出て生き始めなくてはいけないと改めて強く思いました、全てが手遅れになる前に。

バケットリストにも追記。
■ 8. 自分の箱から出て生きる

こんどこそ、自分の箱から脱出する、と決めました。まずは最も身近な赤の他人である妻に対して、きちんと箱の外から出て向き合いたいと思います。

母方のルーツは武士

母は7兄弟姉妹の末っ子。

存命の5人のうち、4人の叔父叔母に先日の弟の披露宴に参加頂きました(皆さんにとってはこの世代で最後の独身の甥っ子)。僕の時は母と弟以外の親族を呼ばなかったので、こうしてまとめてお会いするのは本当に久しぶり。

(末っ子の母が69歳ですから、叔父さん達も歳とったなぁ、、)

せっかくの機会なので、母方のルーツについて色々聞いてみたところ、幾つか知らなかった話が出てきたのでメモ。(だんだん叔父叔母の記憶も混濁してきそうなので、早いうちに文書化しないと・・)

北海道に渡ったのは、自分にとっての祖父、母の父の卓。てっきり曽祖父の代から北海道に渡ったと思っていたのですが、これは間違っておりました。

曽祖父の影定は仙台藩の家老だったと伝わってます。戊辰戦争後になんらかの責任を取らされ切腹。末っ子の卓、娘の清野を北海道小樽に逃したのが道産子誕生のルーツと言われてます。

ところが従姉妹の兄さんが以前に図書館で昔の文献をあたったところ記録が見つけられなかったという話もあり、明治以降の混乱期に何かが起きたのだと思います。(祖父の仕事や立場がわからないほど昔でもないので武士だったというのは全くの捏造でもないかと思いますが、疑り深い自分は、家老という役職には、、眉唾な気分。)

母の兄弟は仙台の祖父が育った武家屋敷跡や菩提寺を尋ねたりした経験もあるというので、たぐれる糸があるうちにもう少し調べてみなくては、とも。自分なりのファミリーヒストリー取材。

俺のバケツにも「■ 48. 家族のルーツを探る」を追加。

父方は、石川で廻船問屋銭屋の船頭だった曽祖父が庄屋の娘と駆け落ちし樺太で漁師になったのがルーツ。母方は、武士の家に生まれた祖父が逃れたのがルーツ。

どちらも逃げてたどり着いたのが北海道とは、道産子らしい!

やり抜く力 GRIT

遅ればせながらKindleで読みました。書かれてることは至極当たり前な気がしますが、シンプルだということはそれだけ真理に近いということなのかもしれません。

■ 成功するためには「才能」よりも「やり抜く力(GRIT)」が重要

■ やり抜く力とは、情熱と粘り強さ

なんとなく精神論、根性論的にもパッと聞こえますが、努力することの価値を科学的アプローチで証明しようとしたのは面白い試み。

なお、念のため、才能が不要という訳ではなく、才能があるだけでは成功する訳ではない、才能のみならず情熱や粘り強さが成功のためには必要不可欠である、と本書は言っています。(考え方によっては、才能がある人に対する成功指南書?)

やり抜く力は伸ばすことが出来る・・というのは朗報というか、嬉しいメッセージです。但し、成功の定義というものは各自立ち止まって考える必要がある気もします。(いわゆるアメリカンドリームは別に普遍的な価値観ではないと思うので)

成功というものが、自分なりの目標を達成することとおけば、誰にでも成功は訪れるものだと思いますし、そこに至る過程は幸せに通じる気がします。

この本を読んで素晴らしい!と礼賛する必要はありませんが、なんだ当たり前のことを・・と読み捨てるのも勿体ない気がします。

自分のバケットリスト(→俺のバケツ)では「■ 2. なぜ生きるのか?ではなく、どう生きるのか?に意識を向ける。」という点に関わってくるように感じました。

やり抜く力を継続する力と捉えるならば、ブログ毎日更新の習慣も来年10月には丸10年。かなりしつこく続けていることの一つです。

月一ダンサー

米国で社交ダンスを習ってみようというプロジェクトも昨年2016年2月のスタートからはや一年が過ぎました。

<これまでの経緯〜まとめ>
■ →体験レッスン予約
■ →個人レッスン代が130ドルに衝撃
■ →グループレッスン体験
■ →アメリカンダンスを味見
■ →初契約更改
■ →3ヶ月目
■ →個人レッスン12回終了

妻子が夏の帰省(日本語留学)から戻った昨年8月後半以降、出張頻度が少々あがったこともあり、月に1〜2回程度の個人レッスン、グループレッスンはもはや皆無というペースとなり現在に至っています。

2017年もまだ2回しかレッスンには行けておりません。

(夜は外からレッスンの様子が丸見え)

正直、結構お金もかかるし(自分のへそくりの日本円をドルに替えてレッスン代は捻出中)、平日夜も決して時間が沢山ある訳ではないし(忙しい、という言葉は自分の中ではNGワード)、2017年はどうしようかなー・・とも考えていたのですが・・

月1、2回のペースでのレッスン継続で結構、と開き直ることにしました。月一ダンサー上等。

考えてみれば、ゴルフだって2017年になってから1回しか行けてませんし(目標はコンスタントに月2回のラウンド+練習だったはずですが)、仕事や妻子との予定を優先してのスケジューリングならばそんなもの。(むしろ自分の趣味といえるものにまだ時間を使えているだけまし。妻に感謝しなくてはいけないところ)

たとえ緩やかでも、継続的に社交ダンスと関わり続けることを優先できればと思います。

これは自分のバケットリスト(死ぬまでにやりたいことリスト)の「■ 41. 一生社交ダンスとはゆるやかに関わり続ける」にもリンクしてきます。(→俺のバケツ

ちなみにダンス関連では「■ 40. 妻と社交の場でダンスを踊る」「■ 42. 社交ダンスのパートナーがいて、競技会に再び出場する」というのもありますが、まだ妻の了承は得ていません。

関連では「■ 90. 娘達の結婚式で、娘とワルツを踊る」という大胆不敵なものもありますが、これも当然了承は得ていません。当分は自主練習を細々と続けながら機会を待ちたいと思います。

月に1、2回しか顔を出さない不真面目な生徒は僕ぐらいなので、毎回 Long time no see!と声をかけられます。

仕事と完全に縁のない自分が所属できるコミュニティが米国でもあるというのはやはり貴重かも。(のめり込める程の時間は取れないですが)