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家飲み57宴目〜送別会

家飲み57宴目はなんと悲しいことに、一番の仲良しであったO家の送別会。

お互い辞令ひとつでどこにでも飛ばされる覚悟とはいえ、いま暫くはヒューストンで残る任期を共に暮らせると思っていただけに悲しい限り。

毎週一緒に遊んでいた妻のショックは凄まじいことに。(本件について軽々しくコメントすることを禁じられました)

(娘達はまだまだピンと来ないんだろうな、別れ)

思い返せば、2年半前に同じ年頃の娘を2人連れたYちゃんを近所の公立図書館で見かけて妻がナンパした(連絡先を聞いた)のがお付き合いのはじまり。

お互いの娘達の誕生日やひな祭りなどの、季節折々の合同イベントは勿論、ヒューストンから飛び出しバハマへのディズニークルーズを一緒に行ったり(今年の年末も一緒にいくはずでした)、ウッドランズのリゾートホテルに出かけるなど楽しい思い出も沢山。ファミリーランにも一緒に二回出たなぁ。。

(Yちゃんお手製のフォトブックに涙する妻)

(妻からはミシンを使って仕上げたお手製の壁掛け?)

東京でそれぞれが住みそうな地域は電車で小一時間ぐらいの距離になりそうで、車で5分だったこれまでのようなお付き合いはできないことは明らか。これは他にもこちらで親しくなった皆さん全てにあてはまることですが。。

一学年上になる長女のHちゃんには、うちのMAIをいつも引っ張り上げてもらいました。

(KATYにあるキッザニアの簡易版みたいなとこでの長女達)

妻は、Yちゃんとは2人の娘をもつママ友同士に加え、ミュージカル好きな友人であり、ディズニー会(ご近所のディズニー狂いのママで結成された秘密結社)の会員同士でもあったので、当分は寂しい思いをするのだろうな・・と考えると僕まで悲しくなってきます。

2年半、とってもとってもお世話になりました。一足お先に東京に戻られてもどうかお元気で! またお会いしましょうね。

ユナイテッドの奴隷〜ANA機材に避難

米国国内出張が中心で、且つ最寄りの空港がユナイテッドのハブな自分は基本ユナイテッド一択。ユナイテッドのステータスが国内出張のQOLを決めるのでやむを得ないのです。(→それでもユナイテッド一択

2014年にヒューストンに渡った際は直行便を飛ばしているのはユナイテッドだけだったのですが、2015年6月からANA(全日空)も直行便のサービスをスタート。

同じスターアライアンス陣営なので、激しい価格競争をしている感じは全くしませんが、それでも選択肢が増えたのは嬉しい限り。

ところが早速ANAサービスを体験しようと思った2015年夏、全日空HPからはうまく本人以外の妻子チケットが購入できず・・断念。(→全日空が予約2席を失った件

それ以来、ユナイテッドで予約をしてANAが運行する機材を選ぶ、という流れが出来上がりました。これならユナイテッドのクレジットカードで購入マイルが入り、マイルもユナイテッドで貯まり、それでいて機材とサービスはANAのいいとこ取り。

今回の2連投の日本帰省でもこのユナイテッド予約→ANA機材のフォーメーションで。(少々ANAカウンターの方々には心苦しいながら)

(日本からの平日帰り便、まさかの隣のエコノミー席が空席)

前後は結構混んでいたのですが久しぶりのエコノミーフルフラットシート(自分が命名)を堪能させて頂きました。昔、ヒューストン戻りで一度、あとはシンガポール→ドバイでもこれに当たって嬉しかったなぁ、、と思い出す。(ちゃんと記録が見つかるのがブログ→フルフラットシートで帰宅

米国の国内便では普段使えませんが、一応スターアライアンスゴールドだと国際線の場合はラウンジが使えるのが嬉しい発見です。成田のANAラウンジ、素敵。

(朝からチキンカレー完食)

ジャパン物価調査

短い日本一時帰国中、気になるのはもっぱら食べ物ですが、外食だけではなく食材の物価も調査。

(果物が輝いています、どれも美味しそう!)

(精肉売り場だって、綺麗に売られていて・・)

(鮮魚は勿論、魚卵とか羨ましすぎ・・・)

とにかくどこの売り場に行っても目に毒の嵐でした。それでいてLAのミツワほどは値段は高くないし。あぁ、羨ましい。

ドンキホーテで見つけたコーナー。

ジム・ショアのディズニー・トラディションのフィギュアがかなりの高額で販売されておりました。ディズニー好きな我が家も少しずつ集めはじめており、只今5点ほど。(一気に大人買いしてはつまらないので、何かの折に少しずつ)

(・・・米国のAmazonで買って転売するだけで儲かりそ・・)

米国では何を買うのがお得か・・こうしたたまの物価調査を通じて考えさせられます。

裏庭のある暮らし

裏庭のせりだしたバラの枝を大胆に剪定。

この枝が、当たり前ですが、とにかく棘だらけで捨てる時に意外とやっかいなのです。横着して手をかけずに捨てようとするとうまくいかないので、地道に端から細かく切断。

切断作業をしながら、平凡な主婦が夫の死体をバラバラにして捨てる桐生夏生のOUTを思い出す。妻にバラバラにされませんよーに。

(ここまで小分けにすればゴミ箱に入りますね)

複雑そうにみえる問題もこれぐらい細かく分けることが出来れば処理も可能・・・というコンセプトを体感するのにバラの枝を細かくして捨てるという作業はうってつけだと思いました。

一方で枝葉末節にこだわる、という言い方もありますので、芝刈りに来るメキシコ人のおじさんに10ドルぐらい渡して捨てといてもらう手もあったかなーとも思ったり。(小一時間かかる作業だったので費用対効果という点では)

これで裏庭もバラの枝を気にせず通行可能に。怪我する前の予防措置、完了です。今年は裏庭のある暮らし4年目。初心にかえって週末はコンスタントに少し庭にも手をかけて気分転換を図りたいと思います。

■ バラ達の剪定(見た目がよくなるように)
■ 菜園の世話(今年はオクラ、キュウリ、ネギ)
■ 草むしり励行

あとは裏庭での七輪炙りワークを深掘りか。

母方のルーツは武士

母は7兄弟姉妹の末っ子。

存命の5人のうち、4人の叔父叔母に先日の弟の披露宴に参加頂きました(皆さんにとってはこの世代で最後の独身の甥っ子)。僕の時は母と弟以外の親族を呼ばなかったので、こうしてまとめてお会いするのは本当に久しぶり。

(末っ子の母が69歳ですから、叔父さん達も歳とったなぁ、、)

せっかくの機会なので、母方のルーツについて色々聞いてみたところ、幾つか知らなかった話が出てきたのでメモ。(だんだん叔父叔母の記憶も混濁してきそうなので、早いうちに文書化しないと・・)

北海道に渡ったのは、自分にとっての祖父、母の父の卓。てっきり曽祖父の代から北海道に渡ったと思っていたのですが、これは間違っておりました。

曽祖父の影定は仙台藩の家老だったと伝わってます。戊辰戦争後になんらかの責任を取らされ切腹。末っ子の卓、娘の清野を北海道小樽に逃したのが道産子誕生のルーツと言われてます。

ところが従姉妹の兄さんが以前に図書館で昔の文献をあたったところ記録が見つけられなかったという話もあり、明治以降の混乱期に何かが起きたのだと思います。(祖父の仕事や立場がわからないほど昔でもないので武士だったというのは全くの捏造でもないかと思いますが、疑り深い自分は、家老という役職には、、眉唾な気分。)

母の兄弟は仙台の祖父が育った武家屋敷跡や菩提寺を尋ねたりした経験もあるというので、たぐれる糸があるうちにもう少し調べてみなくては、とも。自分なりのファミリーヒストリー取材。

俺のバケツにも「■ 48. 家族のルーツを探る」を追加。

父方は、石川で廻船問屋銭屋の船頭だった曽祖父が庄屋の娘と駆け落ちし樺太で漁師になったのがルーツ。母方は、武士の家に生まれた祖父が逃れたのがルーツ。

どちらも逃げてたどり着いたのが北海道とは、道産子らしい!