叔父宅到着後、待ちきれないようにひとっ風呂浴びて飲もうとの提案。さすが・・・父方には酒好きの血が濃く流れているなぁと苦笑。
(いろいろと異文化交流中の妻)
(12年前に逝った父を思い出すほろ酔い兄弟)
叔父はずいぶん昔に僕らの年上の従兄弟にあたる息子を事故で亡くしており、一方、我々も叔父の弟にあたる父を同じく事故で亡くしており・・・
なんていうか、ある意味、久方ぶりに父親と息子で酒をかわすような展開。すごく楽しみにして頂いていたというのを実感しました。
毎晩の晩酌はビール2リットル!までに押さえている?ということですが、この日はリミット無しで皆でたっぷり美味しく頂きました。
19時前にはすっかり皆で出来上がっているなんて、なんとも田舎時間。豊かで優しい時間が流れました。
(新鮮な魚介や珍味をはじめ、叔母の料理がとっても美味しい!!)
釜石名物の海宝漬けとか、もうプリン体好きにはたまりません。ビール以外にも、きき酒師としては当然釜石の地酒も頂きました。
(叔父自慢のアコーディオン演奏に感心する娘)
(翌朝は趣味の紙飛行機飛ばしも堪能!)
わずか1泊2日の慌ただしい釜石訪問でしたが、本当に心から歓待頂き感謝、感謝。娘にとっての大事な田舎体験の一つとして是非また行きたいな。
片道7時間は確かにタフですが、父の兄である叔父を僕も大事にしたいもの。孫娘がもう1人増えてもきっと大丈夫ですよね。
豪雨による秋田新幹線が一時運休の喧噪がさめぬ中、岩手県釜石市への小旅行プロジェクトが発動。(祖母のサプライズ遺産が原資、まだ入金してませんけど)
(なにげに家族連れで新幹線で北上は初めて)
(久しぶりに叔父夫婦を訪問なので弟も連れて行く)
見事に集合時間に寝坊するという弟のサプライズもありましたが無事自由席ゲット。帰省客でごったがえす東京駅を後にして、一路、北へ。
新花巻で、車で迎えにきてくれた叔父と昼食をとり、さらにそこから車で2時間。
(わんこそば定食。15椀すら食べられない中年男性)
東京の自宅をでてから軽く7時間。北海道の石狩の実家に帰るよりも実は遠い岩手県。(青森や秋田もきっとそう)
(釜石の海)
(まだあちらこちらに津波の爪痕が)
かれこれ10数年ぶりにやってきました、釜石。
鉄と魚とラグビーの街。
(71歳の叔父にも久しぶりに会えました)
このカテゴリの存在を忘れていたということは、久しぶりの活動。レンジ下を、旦那がダンシャリで旦シャリ。
(アフター:これでも相当片付きました)
調味料ってたいへん奥深い世界ですので、ついついあちこち手をだしちゃいますが、、やはりある程度エリアで総量は絞らないと、です。 (なくても困らないものが多いし)
レギュラー達の定位置をしっかり決めるのがコツなんでしょうね。
■ 料理酒、みりん、白だし、めんつゆ、ナンプラー、オイスターソース、チリソース
■ オリーブオイル、サラダ油、ごま油
あたりの。
なにげに賞味期限オーバーの乾麺達とはバイバイしました。彼らも災害時の保存食料ですね。(災害時はお湯がでないかもですが、、)
活動が停滞気味でしたので、知らずのうちに増えたものがないか点検しよう。こまめな片付け習慣は大事ですが、まずモノの総量が少ないのが一番。
きっかけは岩手に住む叔父からの一通の手紙。
(今日は君のひいばあちゃんのお話よ)
大正3年生まれで、昭和60年に71歳で亡くなった父方の祖母。その祖母の郵便定期貯金の存在が、いまごろひょっこり出てきたというのです。
19年前に満期というから、亡くなった時は誰も存在を知らなかった口座。このままですとどこかで国庫におさめられたはず。
まさに28年前に亡くなったはずの祖母からのサプライズプレゼント。祖母の長男である叔父が音頭をとって、代表相続のうえで分配することに。
孫である自分にも10万円ほどが回ってくることに。
さ~て、どうやって使うとばあちゃんが喜ぶかな、、、。
まだ妻子を会わせていなかった釜石の叔父を訪ね、週末遊びに行くことにしました。歳をとると地方から東京まで出てくるのは大変ですので。
震災後に釜石を訪ねるのは初めてです。
プロジェクト開始から5ヶ月。
見事に増量。。
■ 82キロ(スタート) → 79.51キロ(6月平均) → 80.07キロ(7月平均)
5ヶ月間でスタートから2.5キロは減らなくてはいけないところが、逆戻り。なんとか元の路線に戻さないと。
ここでひとふんばりして、8月中に79.0キロ方向に戻したい。
まだまだ全行程の25%、これからが勝負。
よく飲み、よく食べ、よく読む、中年男子のライフログ〜人生の達人を目指して生きる