出張中は朝のスタートが早いので必然的に早起き生活です。朝5時半~6時に起きて、7時前あたりから朝食タイム。
1年前の前回出張と同じく市内のインターコンチに逗留しているのですが、ここは朝食がとってもナイスです。(1年前も同じような感想を)

だいたいいつも頂くのが麺、そしてたっぷりの生野菜。ついつい、ナシゴレンなどの油物にも手が伸びるのですが、一生懸命自粛。
前回インドネシア出張時のブログを再読したら、1週間半で1.5キロ増量してるし・・ちゃんと経験を活かしたい。。
早起き、朝食、あとは健康生活に必要なものは、適度な運動だなぁ。車移動のため、万歩計が2千歩以下とかですので、今にも地球が滅亡しそう。
大枚はたいてホテルでLAN接続すれば、牧場の面倒がみれることが判明。これで出張中のストレスが一つ減りました(笑)
約1年ぶりに帰ってきました、インドネシア。いいですねぇ、朝の挨拶・・スラマッパギ! 
なんだかこの語感だけで愉快な気分になってきます。ハゲじゃありません、パギです。今回はどこにいっても通信環境が惨めなもので、久しぶりに電話線でメールを送受信。
100キロバイト以上のメールは面倒なので読んでません(笑)
セキュリティの観点から、アドミニストレーターの権限を取り上げられたPCでは・・お邪魔している先でのLAN回線接続はほぼ困難。まぁ、仕事にはさほど支障はありませんし、携帯メールも仕えているのですが、一つ問題が。
サンシャイン牧場が当地でできません。
今頃、畑で枯れ落ちたかもしれない豆達と、年老いて鳥の死骸だらけとなった牧場を想像しては寂しい気持ちになります。(面倒宜しくお願いします)
やむをえず仕事に集中させて頂きます。
ヨルダン写真を探す為に、昔のアナログ写真箱をひっくり返していたら、レア写真を発見して、吹き出しました。
98年3月とあるのでニュージーランドに6週間ホームステイ&バックパッカーした帰り道のソウルでの一枚。(おそらくここはロッテランド)

なんですか、この髪型と中途半端なポーズは。。韓流という言葉も存在してなかったあの頃、23歳、翌月から上京して社会人デビュー。

色んな意味で、現在の日常は12年前からすれば想定の範囲外です。だからって、想定の範囲内が良い訳でもないのでしょうが。
土曜徹夜で飲んで朝帰りして、同居人男が居間でゲームする横でブログ書きつつ、さっき食べたランチのレバーペースト(彼が最近試行錯誤で研究中)旨かったなぁとか、隠し味、味噌は分かったけど、もうひとつの味は杏露酒で分からなかったなぁとか。
こんな日々でよいのかと昔の写真を見つつ自問自答する・・34歳、日曜の午後。
ま、いいか。
唐突に、そして猛烈にシチューが食べたくなったので作ってみました。ごくごく普通の、家の夕食に出てきそうなシチュー。(ルーは北海道クリームシチュー♪)

■ File No. 012 ありふれたシチュー
玉ねぎ、人参、じゃがいもに豚肉、あとはシーフードミックスも混入して煮込むだけ。そこに大航海時代だったら死刑ものの量で黒コショウをたっぷりとかけて頂く幸せ。
シチューは8皿分も出来上がってしまった為、カレー並みの3食ヘビーローテーション。初めて!炊いたご飯にかけて食べてみたところ、これもオツ。(なぜ今まで試さなかったのか?)
ホワイトソースに肉、そしてライスの味が合わさったときに不意に思い出したのが、
ヨルダンの郷土料理・・マンサフ 
結婚式などのおもてなし料理で、羊肉をヨーグルトソースでこってり煮込んでライスにかける感じ。あっつあつで羊臭プンプン、そこを正式には素手で頂く訳です。
僕は大好物でしたが、発酵系の味が苦手な人も沢山いるだろうなぁという代物。食べたのは遥か昔の2001年1月あたり。
ヨルダン~イラクにのべ100日以上出張していた入社3~4年目の中近東ビジネス時代。仕事も刺激的でしたが、たまのオフで死海に浮いたりぺトラ遺跡にいったり面白かったなぁ。
当時の写真をデジカメで撮って、ちょっとイメージ画像として記録。光が入り込んでしまって画質はイマイチですが。

ぺトラ遺跡って、本当に目の前に衝撃的な現れ方をするんですよ。まさに気分はインディージョーンズ最後の聖戦。

崖というか砂自体が赤っぽいです。それにしても、どこでも立ち方がダンサー風。

出張中はアゴヒゲを生やしていました。さもないと港湾とかで、労働者の皆様にお尻さわられたりで大変だったので。。

この景色、またいつか見に行きたいものです。今の生活からは遥か遠い世界ですが・・シチューを食べて、思わずヨルダンまでトリップ(おかしな薬は混入されておりません)
マレーシア~シンガポール~長崎・佐賀と駆け抜けてきた旅もとうとう最終日。
帰京前に来年の大河を見据えて観光して参りました。

亀山社中 
長崎で坂本龍馬によって結成された貿易結社、のちの海援隊の前身です。

日本最初の株式会社、カンパニーとして商事活動を行うとした集団ということは、
龍馬は最初の商社マンだったとも言えるのではないかと。

維新の時代に、わずか33歳で命を落とすまでにあれだけの足跡を残した龍馬。
彼が思う存分ビジネスをやっていたら、どれだけのことを為し得たかと。

(・・ダンサーはポーズをとると、ちょっと前バランスですね)
のんべんだらりと歳だけを重ねる訳にはいかないなぁ・・

そんなことを、長崎ちゃんぽんを食べつつ思い、

トロットロッに煮込まれた角煮(トンポウロウ)を饅頭で挟み込み、

大口をあけてかぶりつく奥様を激写しながら思ったのでした。
龍馬伝が始まるまえに、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を一度再読しようっと。
何度も何度も読んでますが。
よく食べ、よく飲み、よく踊る、中年男子のライフログ〜人生の達人を目指して生きてます。2024年〜ロンドン在。