「米国に暮らす」カテゴリーアーカイブ

まずは単身で

海外赴任は家族帯同が基本ですが、うちの場合はどうでしょう。
妻と家族首脳会談を開催。

(娘は5月に3歳です)

まず我が家の場合で考えるべきは、日本で産むべきか、米国で産むべきか。やはり妻は両親のサポートが大いに期待できる日本を迷わずに選択。

米国で生まれた場合、日本国籍と米国国籍を選べるという利点?がありますが「日本人なんだから、それでいいでしょ。」と言える国に生まれてホント幸せ。

さらに上の娘をプレ幼稚園に4月から通わせることで、6ヶ月だけでもいいので日本人の中での集団生活を経験させたいという妻の言。(な、なるほど。)

結果、7月に第二子を出産し、11月頃に合流する予定としました。さすが、よく色々な方向から妻は考えているなぁと感心。

(4月からのプレ幼稚園グッズを妻が名前入りで準備)

家族としばし離れるのは寂しいですが、当初は仕事に専念できるのはいいかも。ネットさえつながれば、SKYPEなどで連絡も取れるでしょうし。

しっかり生活のセットアップして、家族3人を迎え入れるようにしないと。そのために、まずは単身でGO。

出発は4月20日の予定、いまから1ヶ月後です。

墓参りの前に墓掘り

さて、海外赴任の辞令を頂いたものの何をしよう。
とりあえず父親の墓前に報告に行くか、、って感じで帰省。


(見事に雪野原)

・・・3月の北海道は、墓が雪の下に埋まっているんですね。
しかし、ここを記憶だけで掘り出すのは流石に無理が。。

管理事務所に行って区画図をみせてもらい、目印になる墓から列を数え・・ようやく掘り当てることが出来ました。


(ホントにここか??)


(あ、出てきた、、)


(両親はクリスチャンなのです)

ちゃんと報告出来てよかった。場所は重要じゃないかもしれませんが、やはり思いが伝わる気がします。

あなたの息子がアメリカで仕事するなんて不思議ですね。
僕も不思議です。

石川で生まれたひいおじいさんが樺太にひいばあさんと駆け落ちし鰊漁師となり、郵便局でまじめに働いていた祖父は1945年にソ連軍に捕まり、数年後に解放された後に、ようやく北海道に引き上げてきて子供達を大学に進学させ、長男が海外で働く機会を得て、さらにその娘達が帰国子女になるなんて。

なんにせよ頑張ってきます、と。